最近感動した話
投稿日:2006年10月25日
投稿カテゴリー: SE
ずっと長崎に住み続けていますが、長崎にもこんな感動する話があったのかとびっくりしています。
少々長くて読みづらいかも知れませんが、是非最後迄読んでみてください。
○自らの体を投げ出してバスを止め、乗客の命を救った車掌 (鬼塚道男さん)
戦後間もない昭和22年長崎県時津町であった実話。9月1日午前8時、大瀬戸発、長崎行きのバスは30人の乗客を乗せ打坂峠を登っていた。当時は打坂峠は舗装されておらず、勾配が20度もある急な坂道でバスの運転手から「地獄坂」と呼ばれていた。バスは車体の後ろに大きな釜をつけ木炭を焚いて走っていた木炭バスだ。打坂峠の頂上までもう少しのところでバスのギアシャフトがはづれた。運転手はあわててサイドブレーキを引いたがブレーキは全く効かずバスは急な坂をズルズルと後ろ向きに下がり始めた。
運転手はバスを止めようと必死になるがバスはドンドン下がって行く。運転手は車掌に向かって「鬼塚!すぐ降りろ!石ころを車の下に敷け!」と絶叫した。すぐに鬼塚車掌はバスから飛び降りた。手近にあった石をいくつか車輪の前に置きバスを止めようとした。しかし急な下り坂で加速度的に勢いをつけて下りてくるバスの車輪は石を乗り越えて輪止めの役をしない。バスは高さ20メートルの険しい崖に迫った。崖からバスが落ちれば乗客の命が危ない。乗客はなすすべもなくパニックになった。
『こいは、おしまいばい!』乗客皆が、そう思ったとき、バスは崖っぷちギリギリのところで止まった。運転手と乗客はホッとして「ヨカッタ、ヨカッタ」と我にかえった。
運転手はバスから降り「鬼塚!どこに、おっとか!」と叫んだ。乗客の一人が「バスん後ん車輪に、人のはさまっとる」とこわごわと指さした。車輪の下を見て驚いた。鬼塚車掌が車輪の下に横たわっていた。彼は自分の体を輪止めにしてバスを止め、崖からの転落を防いだのだ。
時刻は朝の10時過ぎ、自転車に乗った人が「打坂峠でバスが落ちた。早く救助に!」と長崎バスの時津営業所に駆け込んだ。
時津営業所の高峰貞介さんがすぐに事故現場に駆けつけた。高峯さんは後に事故の様子と鬼塚さんについて次のように語った。
「たしか、朝の10時少し過ぎだったですたい。自転車に乗った人が『打坂峠でバスが落ちとるばい、早よう行ってくれんか』って、駆け込んで来たとです。木炭のトラックの火ばおこしてイリイリしてかけつけると、バスは崖のギリギリのところで止まっとったとです。もうお客はだれもおらんで、運転手が一人、真っ青か顔ばしてジャッキで車体を持ち上げとったですたい。『道男が飛び込んで輪止めになったばい。道男、道男』って涙流しとったです。当時の打坂峠は胸をつくような坂がくねくねと曲がっとりましたけん、わしら地獄坂と呼んどったです。自分で輪止めにならんばいかんと思うたとじゃなかでしょうか。丸うなって飛び込んで。
道男君はおとなしかよか男じゃったですたい。木炭ばおこして準備するのは、みんな車掌の仕事ですけん、きつか仕事です。うまいことエンジンがかかればよかが、なかなかそげんコツは覚えられん。よう怒られとりました。それでもススだらけの顔で口ごたえひとつせんで、運転手の言うことばハイ、ハイって聞いとったです。ばってん、そげん死に方ばしたって聞いた時には、おとなしか男が、まことに肝っ玉は太かって思ったもんですたい。あの晩遅うに、みかん箱で作った祭壇といっしょに仏さんば営業所に運んで来たとです」と・・・
病院での必死の手当てのかいもなく、鬼塚車掌は21歳の若い生涯を閉じた。
鬼塚車掌は長崎バスの大瀬戸営業所の二階に住み込んでいた。毎朝バスの出発の2時間前には木炭の火をおこして準備をし、火の調子を整えていた。また走行中にもよくエンジンが止まり、その度に車体後部の釜の炭火を長い鉄の棒でかき混ぜ火の調子を整えるのが車掌の仕事だった。
鬼塚車掌の母親ツルさんは当時鹿児島に住んでいた。事故の知らせを聞いたツルさんは次男の輝人さんと時津町に駆けつけ鬼塚車掌の変わり果てた姿に対面、錯乱状態になった。
この事故が起こった昭和22年は日本が敗戦後の虚脱の状態で人はみんな生きていくのが必死の状態で、鬼塚車掌の尊い行為も人々の記憶から薄れて行った。
事故から27年たった昭和49年、長崎自動車(長崎バス)は鬼塚車掌の勇気をたたえ、事故現場の国道206号線沿いの打坂峠に唐津石で作った慰霊地蔵尊を建てた。
鬼塚車掌の命日であり事故が発生した9月1日には毎年、長崎自動車の社長以下、幹部社員が地蔵の前で供養を行っている。
この地蔵は「愛の地蔵」と呼ばれ交通安全にご利益があると観光客も訪づれ手を合わせて行く。
2004年9月1日も長崎自動車の上田社長をはじめ、役員、役職者など45名が参列し鬼塚車掌の冥福と交通安全を祈念した。
また、この日の午前中には時津幼稚園の年長組みの園児20名が地蔵尊にお参りして花を手向け小さな手を合わせた。時津幼稚園の山口理事長は「近年、子供の犯罪が問題化しており、園児達に小さい頃から命の尊さを感じとって貰いたい」と鬼塚車掌の話を子供たちにして園児達の地蔵尊へのお参りを実施した。
時津幼稚園では今後毎年、園児たちの「命を大切にする」教育の一環として地蔵尊参りを続けて行くと言う。(記事作成にあたり長崎自動車株式会社の総務課、野田彰さんから資料提供などご協力を頂きました)
最後迄読んで頂きありがとうございます。
因みに三浦綾子さんの長編小説『塩狩峠』はこの事故が題材だそうです。
http://www.egao.co.jp/contents.html、笑顔の法則、スマイルニュースより