こころの輪

こんにちは、システム技術部第2課のTUです。

「こころは誰にも見えないけれど」「こころづかいは見える」「思いは誰にも見えないけれど」「思いやりは誰にでも見える」

これは先日全体朝礼の「職場の教養」で話された、宮澤章二(みやざわしょうじ)先生が書かれた『行為の意味』という詩の一節なのですが、それから数日後の雨の日、朝からバスで通勤していた時の事です。

車内は朝からの雨のせいか、立っている乗客で混んでおり、自分も立ったままの状態で乗車していました。そんな時、目の前に座っていた乗客の方が降車のために席を立ったので、「ああそうだ」と思い立ち、自分の左隣に立たれていた年配のご婦人の肩を軽くたたいて、「どうぞ(お座りください)」と声を掛けたのですが、少し笑顔で「すぐに降りるので」と言ってやんわりと断られてしまいました。

ならば、と思いなおして今度は右となりにかなり大きなリュックを抱えて立っていた女子高生に「どうぞ」と声をかけたら、逆に「どうぞ」と笑顔でこちらが席を譲られてしまいました。

車内も混んでおり邪魔になってはとの思いから自分が座る事になりましたが、座った後で思い返してみると、女子高生から見れば自分はいつの間にか譲る側から譲られる側になってしまったのかと、なんだかちょっと寂しい気分になりました。

なんとか気分を持ち直して、次も同じような機会があれば席を譲ろうと思いました。みなさんもちょっとしたこころづかいを実行されてみてはいかがでしょうか?

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